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評価:
樋口 健二
三一書房
コメント:かつて地図から消され、今歴史を葬られようとしている島がある―
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瀬戸内海に浮かぶ小さな島、大久野島。
今リゾートアイランドとして若者が集うその島は、かつて毒ガス島と呼ばれた島であった。
大久野島の工場で働いていた人々は、何を作っているかを知らされていなかった。
この島での出来事は口外禁止とかたく口止めをされたそうだ。
防護服を着ながらの作業でも、防護服を通して毒ガスを吸い込み、体中に水ぶくれが出来たという。
それでも彼らはお国のため、天皇のためと言って、痛む体にムチ打って働き続けた。
工場で亡くなった人は数え切れず、生きて戦後を迎えた人も慢性気管支炎になったり、ガンを発症したりしている。
本書にのせられている、昭和56年における情報によれば、毒ガス障害者の登録は4253人、さらに死亡者966人、そのうち国に認定を受け、医療手当等を受けているのは735人(うち死亡者201人)である。
それだけ国のために働き続けたにも関わらず、国は国際法を無視した毒ガスの製造、使用を隠したいという気持ちの表れなのか、多くの人の毒ガスの障害を認めなかった。
毒ガスの工場があった島ではリゾート開発がすすみ、島を訪れる多くの若者たちは、かつて毒ガスを作っていた島だということを知らない。
本書は国に騙され毒ガス工場で働かされ、今でも後遺症に苦しむ人々が国から見棄てられ歴史から葬られようとしている苦しみを語っている。
しかし日本人として忘れてはならないのは、毒ガスは当然、製造しただけではないということだ。
大久野島で作られた毒ガスは中国に運ばれた。その総量は3000トンと言われ、日中戦争では1万人の死者が出た。
敗戦すると、日本軍は国際条約に違反した毒ガス使用の事実を隠すべく中国に毒ガスを棄てて帰ったため、戦後農作業や下水道工事の際に埋もれていた毒ガス弾による被害で、死者や被毒者が出ている。
1993年に発行した化学兵器禁止条約により、日本政府は中国に棄てた毒ガス弾を処理する国際的義務を負い、2007年までにその処理を終えなければならなくなったが、2006年にその期間を2012年に延期している。最終的な処理費用は1兆円を超えるのではないかとも言われている。
違法な化学兵器を使用したにも関わらず日本政府は今なお公式にそれを認めておらず、ゆえに化学兵器使用に関して中国への謝罪もしていない。
敗戦時、日本の所有していた武器はソ連、中国軍に引き渡されたという文書があり、毒ガス弾も日本軍が遺棄したのではなく、ソ連・中国軍に引き継いだという主張もあるらしいが、引き継いだ中国軍が母国の農村に危険兵器を埋めたりするだろうかという疑問も残る。
我々日本人の若い世代は、戦争を過ぎ去った過去のものして実感している。
ときたま近隣諸国が戦争時代の問題で日本を敵視する発言や行動をテレビで目にしても、それは政府がなんとかする問題で、戦後に生まれ育った自分たちには関係ない、と心のどこかで思っている。
だが果たして本当にそれでいいのだろうか。
政府の人間とて、戦争中に実際に日本を動かしていた政治家などもはやいないのだ。
人が死んでも、国としての歴史は消えることはない。
数時間で得た薄っぺらい情報ゆえに実際問題のごく表面しか理解できていないこととは思うが、こういう事実があったことを知れただけでも良かったと思う。