<< December 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -
女の一生
評価:
モーパッサン
新潮社
コメント:原題 UNE VIE (人生)よりも、まさに「女の一生」がぴったりとくる。あまりに清らかで、あまりに弱かった、一人の女の侘びしい一生である。

JUGEMテーマ:小説全般
JUGEMテーマ:読書
 
泣ける。
感動ではなく、悲惨すぎて。

題名の通り、1人の女の一生を描いた物語である。
ざっくりと追うと、それは「清らかに育てようという父親のたくらみで修道院で育ったウブな少女ジャンヌは、男を見る目を養わないまま結婚し、案の定新婚早々旦那の浮気が発覚し子供まで作ってもめげずにまた近所の奥さんと浮気をし、キレた浮気相手の夫に殺されてしまう。反動で1人息子を溺愛するジャンヌだが、成長した息子は女を作って家出し、金がないと言葉巧みにジャンヌからお金を巻き上げ、とうとう彼女は住む家すら売り払うことになる」という話だった。

これだけ読むと可愛そうな女性の話だが、そう簡単にはいかない。
ジャンヌの息子への傾倒ぶりが、病的というまでに異常で恐ろしい。

物語は「世の中は、人が思うほどいいものでも悪いものでもない」
という台詞でしめくくられるわけだが、ある意味ではその通りだと思う。
世の中を私は心の中で人生と置き換えたが、人生山あり谷ありという言葉があるように、
希望ばかりに満ち溢れているものでもなければ、苦難ばかりが待ち構えているというわけでもない。
しかしどちらを基準に置くかというと、私は幸福を人生の基本スタンスに置きたいと考えているわけで、
対してこの物語は真逆の道をたどった、非常にペシミスティックな作品だ。
基本が不幸で、その中にほんの少しの希望と幸福がある。そのために不幸の中を生き抜いていける主人公、といった構図だ。

女は清らかなのが良い、と謳われるが、やはり清らかなままでは女も男も長い幸せは掴めないのではないだろうか。
辛いことや不幸が身の上に起こったときにその悲愴レベルを下げるためには、時に自分ではない誰かをを悪者と認める図太さやずるがしこさ、我侭を通すことだって必要なんだろう。
なんてことを考えた。

幸せは歩いてこないから、自分の足で歩いてゆくんだね。










23:18 | 海外(モーパッサン) | comments(0) | trackbacks(0)
中庭の出来事
評価:
恩田 陸
新潮社
コメント:中庭をめぐるいくつかの事件。どこまでが内側でどこからが外側なのか。誰が役者で誰が本物なのか。恩田陸らしいと思う作品。

JUGEMテーマ:読書
JUGEMテーマ:小説全般
 
久々の恩田陸。
すっかり大御所のひとりになってしまいまして。
ちょっとツマランなー。なんてまた斜にかまえたことを考えるわけです。

今作の仕掛けは「ちょっとずるい」し、まあそうだろうな、と多くの人が思ったと思う。
芝居を演じる芝居。を演じる芝居。を演じる・・・
と、やろうと思えばどこまでもやれる。

「ネタばらすよー」


結局この本が丸々一本の芝居の脚本だったわけで、まわりにまわって結局はひとつの「物語」という、他の小説となんら変わりない形態をとっていたわけだ。
この物語の面白さはどこにあっただろう?
どこから「外」で、どこから「内」か分からないところ?
そこを紐解こうと読みながら頭を使うところ?
それとも芝居の中で描かれる物語そのもの?

結局複雑に見える物語の構造の中で作者にふりまわされただけ、という印象。
辛口すぎかなー。
えらそうにすいません、とはいつも思っている。

22:54 | あ行(恩田陸) | comments(0) | trackbacks(0)
凍りのくじら
評価:
辻村 深月
講談社
コメント:他人をバカにしていた主人公の理帆子。自分を隠し他人と距離をとっていたはずが、気がつけば「人間」という現実の泥沼の中に足を踏み入れていた。ドラえもんの道具を使いながら描くスコシ・フシギな物語。

JUGEMテーマ:小説全般
JUGEMテーマ:読書
 
小説というものはワインみたいなものかもしれない。
各々に飲み頃というものがあって、一番いいときに味わいたいと思うのだが
いつが飲み頃なのか、ソムリエには程遠い私には実際にコルクを開けて確かめてみるしか術はない。
それが間違ったと思ったとしても、一度あけてしまったワインは飲んでしまうしかない。

最近本の好みが変わってきたのかなと思う。
本書は私が読むにはもう遅すぎて、共感が出来なかった。
「本をたくさん読んできた」「進学校に通っている」という理由で、周りの人たちを見下す主人公。
藤子・F・藤子が言った、「僕にとってのSFとは”少し不思議な物語”なんです」という言葉に影響を受け、誰も彼もに「スコシ・ナントカ」という名前をつける傲慢さ。
スコシ不揃い。スコシFREE。スコシ憤慨。スコシ不安。
同年代の同級生を語彙力がないと馬鹿にする。自分だけが違うと思い込む。

そんな主人公、カケル、ドラマ的文体。
正直半分あたりまではちょっと苦しかった。
「ぼくのメジャースプーン」を楽しく読んだ記憶があったので、果たしてそれは私の本の好みが変わったからなのか、それともたまたまこの作者の中で好き嫌いがあったのか・・。
特に得るものはなかった物語ではあるが、漫画を読んでいるような感覚で半分をすぎたあたりからは違和感なくページをめくれたように思う。

昔は小説というものに対して、「いかに物語の中に没頭できるか」を重視していたように思う。
そういう本が私にとっていい本だったし、好きな本だった。
だけどいつからか、物語よりも言葉のつかいかたや、語られるひとつの真理に魅力を感じるようになっていた。
この本は私が今よりもっと視野が狭くて、自分のことばかり考えていた時に向いた物語だったのだと思う。
そういう時期や、個人個人の好みやなんやらがあるから、本の評価や推薦って難しいんだな。




23:07 | た行(辻村深月) | comments(0) | trackbacks(0)
トリックスターから、空へ
評価:
太田 光
新潮社
コメント:爆笑問題、大田光の、「イロモノ」としてのエッセイ。熱いです。

JUGEMテーマ:読書
JUGEMテーマ:小説全般
 
太田光のまぼろしの鳥?なんか本がすごい売れてるってことで気になっていて、
こちらを古本屋で発見して購入。

これがねー。良かった。うん。
私の気持ちを代弁してくれているかのようだった。
漠然となんとなく思ってたこととか、でも政治詳しくないし、下手に口にして反論されたら何も言い返せなくなるような類のことを、もっと深く掘り下げた形で真っ直ぐに熱く語ってくれていた。

2004年1月から、2006年10月まで、1ヶ月ごとに短い文章をつづっている。
その多くが政治に対することであり、小泉政権、イラク戦争、アメリカと日本の関係、憲法9条、そして日本と日本人が世界に対するありかたについての彼の想いが描かれている。
それはものすごく観念的で、一方的で、時にひとりよがりで、根拠とか自分の信念を裏付ける証拠とかというものが一切示されない。
この本の特徴は、後書きで著者自身が語る言葉に集約されているだろう。

「あまりにも青臭くて愚直で、笑ってしまう。伝えたいという意識が強すぎて、読む人の胸ぐらを掴んで、無理矢理、話を聞け。と言っている印象がある」

それを否定的に捉える人も少なからずいるだろうが、私にとってはまさにそこにこそ感動した。
今、読者の胸ぐらをつかんでまで聞いて欲しい想いがあるという人がどのくらいいるだろう。
色んなことを知らない私だからこそ、太田光の意見に賛同できるのかもしれない。
小難しいあれこれをあーだこーだわめかれるより、ただひとつの熱い熱意をぶつけられたほうがどんなに共感できることか。
結局政治家に私が求めているのはそういうことなんだと思った。

私は元々日本が好きで日本に誇りを持っているから、この本に感動はしても人生観が変わるということはなかったが、そうではない人たち、日本は情けなくてどうしようもない国だと思っている人たちが、この文章に殴られて目が覚めればいいなあと思う。


00:09 | あ行(太田光) | comments(0) | trackbacks(0)
みずうみ
評価:
いしい しんじ
河出書房新社
コメント:コポリ、コポリ、とあちこちから声がする。みずうみの?誰かの?沈むでも浮かぶでもなく、たぷたぷと水の中や外を漂っているような気持ちになる。

JUGEMテーマ:小説全般
JUGEMテーマ:読書
 
私はいしいしんじさんが好きだ。
だから言いたくないし思いたくもないのだけど、正直に言うと「分からない物語」だった。
作者に完全においてけぼりをくらった。と思った。
よく分からないけどひどく面白いという本も存在する。
例えば「箱男」のような、あやうい魅力をもち、分からなさを分かりたくなり、何度も読み返したくなる本。
そういうのとは違う。
ただ、「よくわかんないな」。という感想。感動ではなかったことが、いしいしんじ好きの私としては悲しい。

解説者はものすごいハッキリものを言う人だなと思った。
彼の想像では、「第2章にはいる前に作者の身に妻の流産という事件が起こったのではないか」と推測している。(そう直接的には言ってないけど)
その実がどうこうというわけではなく、解説者にそういわしめる何かがやはりあるというわけで。

確かに第1章はいつものいしいしんじ調の物語で、原点への回帰、伝統や原始や自然を重んじる美しさが前面に出ていた。
それが1章の終わりでみずうみが枯渇し、主人公たちは水を失ってどう生きていくんだろう・・・
というどきどきの中2章をめくると、彼らは忽然と姿を消していて戸惑う。
変わりに現れたのは、さえないタクシーの運転手。
口から石を、体から透明な水を吐き出す。
そして3章では海外と日本とにいる2組のカップルを描く。
彼らは、彼らと、そして昔の誰かと、みずうみの村にいた誰かと、偶然だか必然だか分からないような細さで繋がる。

1章以外の話は、全て「なんとなくリンクしてるっぽい」といういやに曖昧な印象でしかない。
あまりのつかみどころのなさに、読んでいながらもやもやとした不安感を覚えてしまう。
後味の悪い作品だった。


23:46 | あ行(いしいしんじ) | comments(0) | trackbacks(0)
パパの色鉛筆
JUGEMテーマ:読書
 
図書館で題名が可愛いなーと思って棚から抜いたら。
おっと表紙が荒井良二。
ヤマトって誰だか知らないけどまあいいかと思って借りました。
どんだけ荒井良二好きやねんと自分つっこみ。

でもわりと興味深い本でもありました。
1章1章が短く、文章も読みやすいので1冊さらっと読み終えちゃいます。
診療にきた患者さんのこととか、そのほかのことも色々載ってるんだけど、
面白かったのは、精神科医のお医者さんといえども、普通の1人の人間なんだなということ。
患者さんに心無いことを言われれば辛いし、むかっともするし、
働きすぎたくないから患者さんは少ししかとらない。
治療方法に悩んだり、何もできなくて悔しい思いをしたり、これでよかったのか、あれでよかったのか・・。
不安な患者さんを前にして堂々とした態度で安心させることが必要だと思うのだけれど、内心では先生も不安だったりするんだね。

題名になった素敵なエピソードをひとつ紹介。
小学校に通えなくなった娘が、姉妹喧嘩をして姉に言いくるめられ、言い返せずにわあわあ泣いていると、父親がこう言った。

「お姉ちゃんは上手に自分の気持ちを話せるんだね。それはこころの色を表す36色の色鉛筆を持っているからなんだ。それに比べて君はまだ3色の色鉛筆しか持っていない。でも大丈夫、これから1本ずつ増えていくから」

その父親は自分は3色しか持たないまま大人になってしまったと言った。
それに対してヤマト先生はこう思う。
どうやらこのパパの持つ3本の色鉛筆は月並みの三原色ではなく、どこの文房具屋にも売っていない、淡く深い色合いをもったものなのだろう、と。


余談だけどヤマト先生とは本の趣味があうと思う。

00:26 | や行(山登敬之) | comments(0) | trackbacks(0)

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ