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評価:
パウロ コエーリョ
角川書店
(2000-06)
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やっぱり題名がいい。パウロさん。
ピエドラ川のほとりで私は泣いた。この川の水の中に落ちたものは、木の葉も虫も、鳥の羽さえも、岩に姿を変えて、川底に沈むと言い伝えられている。心を胸の中から取り出して、流れの中に投げ込めるものならば、恋もこの苦しみも終わって、私はすべてを忘れることができるだろうに。
冒頭の1ページ目は、それだけで涙が出るんじゃないかってくらい素敵な文章です。洋書でそう感じられることってかなりすごい。
「星の巡礼」同様、本作も宗教色の濃い作品。ただ、パウロ・コエーリョの作品はそのへんの宗教スピリチュアル本とはちょっと格が違うなあと思わせられます。私は本作みたいに、神は〜なものなんだよ、とか言われるのがとても苦手です。頭で文字を追っても、心がついていけないから。(八百万の神的なものは信じるんだけどね。日本人だね)でもそこの部分をぐっとこらえて、自分の中で勝手に神様わきにのけちゃって読んで、(パウロさんごめんなさい)そうすると感動せずにはいられないんです。
この本は「真実の愛」をテーマにした物語。
主人公ピラールのもとに、幼馴染から12年ぶりに手紙が届く。久しぶりに再会した彼は、神の女性性について人々に語り、また病を治す奇跡の力を持っていた。ピラールのことを愛しているという彼に、決して恋に落ちることはないだろうと思っていたピラールも、彼との旅を通して、彼を愛する本当の自分を解放していくようになる。しかし愛した彼は修道士だった。女神から授かった奇跡の力をもって世界を変える夢のために生きるか、全てを捨ててピラールへの愛に生きるか、選択するために彼はピエールを呼んだのだった。
幸せになるために、自分自身の純粋な声に耳を傾けなさい、とこの本は語りかける。自分を自分でなくしているのは、苦しみや困難への恐れであって、感情をコントロールしようとする力なのだと。
自分の心に真っ直ぐに生きる人は目がキラキラしてみえて、本当に羨ましいと思う。私はどうしても色々なことを考えて、感情を誤魔化して生きてしまう種類の人間だと思うから。分かっちゃいるけど20数年間をそうやって生きてきた自分を変えるのはそう容易いことではないし、ピエールは自分の心を解放することで本当の自分に還ることができたと言うが、あたしはそうやってごちゃごちゃ余計なことを考える自分のほうが自分らしいという気がしてしまう。もちろん憧れる人間像とはだいぶ違うんだけれども、愛着もあるというか。そんなこと言ってるから成長しないのかひら。
でもたぶん心のどっかに、そうして自分の心の進む方向だけを見つめて生きていけたらという気持ちがあるから、こういう文章に心打たれるんだろう。
とても印象に残る物語が、この本のラストで話されています。
お互いに深く愛し合っている少年と少女が、婚約のプレゼントを交換するのですが、2人は貧乏でお金がありません。そこで少年は彼女に銀の髪飾りを買うために宝物の時計を売り、少女は彼に時計のくさりを買うために自分の髪の毛を売ります。2人が婚約の日に会った時、少年と少女はお互いがすでになくしてしまったもののための贈り物を贈ったのです。