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虐殺器官
評価:
伊藤 計劃
早川書房
コメント:ある男の行く先々では、どんな平和な国も内戦になり、大量虐殺が起こる・・・。謎の男、ジョン・ポールを追う米軍大尉、クラヴィス・シェパードが知る真実と、衝撃の結末とは。

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デビュー作、「虐殺器官」をとうとう読み終えてしまった。
これでもうこの作者の長編小説を読む機会は2度とないのだということが口惜しい。

「ハーモニー」と同じく、これでもかというほどに詳細に計画されつくした世界観。
ある意味では、背景描写や、設定説明、そして物語においていわんとする「哲学」に比重を置きすぎていて、主人公の行動や知覚に関する記述が少なすぎるかな、という印象もある。
しかし逆にここまで「世界観と哲学を語る」ことに執着し、突っ走り、このページ数をさくというところに、この作者の個性や面白みがあるのかもしれない。
本来ならこういった書き方をする作者が、今後どのような作品を描いていくのかという楽しみも生まれるのだけれど、今回はここまでで彼への評価というものが決してしまうわけだ。
とても残念。
きっとこれからもっともっとすごい文豪へと化けていったような気がする。

ちょっと怖い題名と表紙なのだが、ホラーというわけではないので安心して手にとってほしい。
これは「ハーモニー」と同じく、人間としての生き方に言及した物語だ。
人という生き物の原子的な部分を引っ張りあげ、それを近未来の科学の力によって操作し始めるとき、人は自我を見失ってしまうのかもしれないという恐れ。
病床にあった作者は、治療という名において自分自身が生来持って生まれた以上の力を体内に取り入れながら、どこからが自分で、どこからが自分ではなくなるのかを恐れ、その思いを物語りにつづったのではないだろうか。。なんていうのは邪推かな、すいません。


16:12 | あ行(伊藤計劃) | comments(0) | trackbacks(0)
ハーモニー
評価:
伊藤 計劃
早川書房
コメント:我思うゆえに我あり、と昔の人は言った。「心」という器官は存在するのか。感情さえ脳という体の器官の一部と捉え、「治療」のメスの介入を許すのか?人間としてのアイデンティティを問う、大作SF小説。

JUGEMテーマ:読書
JUGEMテーマ:小説全般
 
21世紀、<大災禍>で世界中に核弾頭が落ち、放射能の影響で人類は病に侵される。そして世界は健康を第一とする<生府>を基本単位とする、医療福祉社会へと移行したのだ。
それから半世紀、人は体内にWatchMeをインストールすることにより、完璧なまでの「健康体」を手にいれた。
世界は健全で、健康で、平和で美しく、人々の善意はとどまることをしらない。

そんな慈愛に満ち溢れた世界で息をつまらせる少女たちがいた。
彼女たちは自らの命を粗末にすることで、世界に抗おうとした。
自殺に失敗してから13年。生府の元で働く主人公、トァンを待ち受けていたのは、世界規模の「自殺事件」、そして事件を追いかけて見えてきたのは、13年前に死んだはずの友人の影だった。


まず世界設定が非常に興味をそそられる。そしてとても綿密に作り上げられている。
人間の探究心の底の見えなさというのは、けっこう怖いもののひとつである。
クローンの研究や、もちろん医療の分野にしろ、研究者はただ追及するだけ。それをどう利用するかはまた違う人が考える、というのが怖い。それで日本に核が落ちたわけなのだし。
遺伝子が全て解明されて、自分たちで操作できるようになったとしたら、人はどうするだろう。
自分の好きなように遺伝子を動かして、性格や外見を変える?
生まれる子は男か女か、スポーツマンか芸術肌か、全て親が選択する?
不老不死の薬が出来たら?
若返る薬が出来たら?
人はきっとそれに目をつむることは出来ないんだろうなと思う。
そうしてどんどん「動物」から離れていくのだろう。

この物語の中でも、人は「治療」というものを追求し続けた結果、人の精神、感情、いわゆる太古から信じられていた「魂」の部分に科学のメスをいれることに成功した。
WatchMeは体を「健康」に保ってくれる。
そしてそれが脳をも制御したらどうなるか。
実験の結果、「意識がなくなる」ということが判明した。
心が健康だということ、それはつまり何に対しても悩むことがなく(WatchMeが全て明確な正解を導き出す)、ゆえに自分で考える必要性がなくなり、意識が消えるのだという。

そんなことをしたら駄目でしょう!
と、一見思う。
しかしそこには矛盾がある。
私たちは「平和」を望んでいないか?
社会が争いなく、美しく調和することを望んではいないか?
人が争わず、憎しみ合わず、殺さず、間違えず、お互いを慈しみあって生きられたらと望んだのではないのか?
間違った答えを出すこと、正しい答えを選べないほどの混乱に陥ること、それは「意識の病(=正常ではない状態)」として、風邪薬を飲むように、癌を治療するように、治療していけば良いものなのではないのか?
体には平気でメスをいれるのに、何故脳だけを神聖視するのか。
何故?

それはものすごく感情的な答えになってしまって、言葉にするのはとても難しい。
しかし、それを認められない、認めたくないと思うこの気持ちこそが、私が人間である証なのかもしれないとも思う。
色々と考えさせられる本だった。そして難問だ。
全てが自明だったら、私は幸せだろうか。


いつか人類全体が悩まなくてはいけなくなる問題なのかもしれないね。


21:49 | あ行(伊藤計劃) | comments(0) | trackbacks(0)

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