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斜陽
評価:
太宰 治
新潮社
コメント:最後の貴族として混乱の世を生き、滅んだ家族。

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JUGEMテーマ:読書
 
太宰治と言えば、多くの人が教材として走れメロスを読んだことがあるだろう。
小学校だか中学校だか忘れてしまったけれど、面白怖く読んだ記憶がある。
心温まる友情物語、とその頃はそれを位置づけていたけれど、果たして今読んだらどう感じるだろうか。

走れメロスという作品に対するイメージ(私が幼い日に感じたままの)と相反して、作者には「自殺願望を持つ男を作品に登場させ、自己を強く投影した薄暗い物語を書く、ちょっとイケメンで世の中を斜め下から見上げていそう」という印象を抱いていた。
果たしてそれが合っているのか、とりあえず今はまだ分からない。


さて本作は戦後滅びの道を余儀なくされた、日本最後の華族の滅び様を描く。
「本物の貴族」である母は、最後まで貴族として意外の行き方を模索することなく死んでいき、
「人間はみな平等だ」と叫ばれる世の中で友と上手くやっていこうと、下品になるべく努力を重ね続けた弟の直治は、酒と麻薬に溺れて死ぬ。
その中間に立つ姉のかず子は、好きな男の子を身に宿し、「恋と革命」を心に、この吹き荒れる世の中を生き抜こうと決意する。

「この世に戦争だの平和だの・・・があるのは、女がよい子を生むためです」
そうかず子は言い放つ。

華族令が廃止されて60年たった今でも、人は皆平等に生まれ死んでいくなどと本気で言える人がどれほどいるだろう。
人のつくった世の中で、戦争や平和や国や政治や、そういうものを全てだと思い生きてゆくとするなら、直治の道を選んでしまうこともあるのかもしれない。

例えば突然、「今から日本人は文明を捨てた世界各地の山奥の村に、もしくは激しい戦火の真っ只中で暮らしなさい」と政府から告げられたとしたら。
明日から私たちに何が出来るだろう。
ガスコンロなしに料理も作れず、生きた虫をそのまま口にすることも出来ず、ああ温かいお風呂にはいりたい。可愛い服が欲しい。敵を殺すことなんて出来ない。だけどそれでは生きていけない。周りからは何も出来ないボンボンだと嘲笑される。
そして自分が、先人が築き上げてきた「世の中」によって作られた生き物だということを痛感するはずだ。

人は、生き物は本来皆平等、つまり平らに等しい。
他者を食べ、自分の生きるエネルギーに変え、排泄し、次世代の子を産み、いつか死ぬ。
自分ひとりがひとりの力で持っているものは、本当はこのことだけだと思う。
それはとてもとても偉大で大きなことだけれども、人の世に生まれ育った私にとっては小さなことに思われがちで、普段の生活の中では食事のときでさえも意識もせず、それどころか自分以外の要因のことに始終心を奪われ、周りの世界が様変わりして自分に牙を剥いたなら、もう生きてゆくことなんて出来ないなどと思ったりする。

子を生むために世界が動いている。
それは紛れもない真実だ。
しかしそれを心の革命の筆頭におけるかず子は、人の世の生き辛さを知らない貴族だからこそ口に出せる台詞なのか。強靭な精神を持った女性なのか。はたまた妊娠という神秘のなせる業だったのか。


時代や言葉は日々変われど、哲学は不変だ。
ノルウェイの森に、こんな台詞があった。

「時の洗礼を受けていない本を読むな」

無論全面的に賛成はしないが、やはり時の洗礼を受けて今に残る物語には、それに見合う輝きがあるのだということが、なんとなくだか分かるような気がしている。






23:05 | た行(太宰治) | comments(0) | trackbacks(0)

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