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評価:
日原 いずみ
ポプラ社
コメント:女から妻、母親になる過程を生生しくつづった、まさにダリアの鮮やかさを醸し出す物語。そのあまりの生生しさに、反発する人もいれば共感に胸がふるえるひともいるかもしれない。女には女としか分かり合えないことがあるということを痛感した。
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女が書く、女のための物語。
「幸せ」を求めて、一番に好きな男ではなく、見合い結婚をした主人公・ときえ。
だが幸せは長く続かなかった。夫は結婚前と変わり、徐々にときえを「家」へ縛り付けるようになる。
妊娠・出産・育児を経て、ときえは女はひとりで子を産み育てなければならないことを知る。
子供を産むのも、子供に乳を与えるのも、女にしかできない仕事。
母性も女にしか備わっていないもの。
子供を思う気持ち、子供のために自分の生を捧げるという気持ちに満たされていく自分を感じるにつれ、夫との気持ちの落差もまたどうにもならない事実として受け止めざるをえなくなっていく。
結婚・出産を経験する女性の多くが、程度こそあれときえと同じような感情を抱くのだろう。
経験のない私にはまだ分からないが、それでも女としての苦しみを男に少しでも分かってもらうことの難しさはなんとなく分かる。
染色体のXとYの間には、どんなに助走をとっても飛び越えられない亀裂があることを感じる。
だから、と思う。
この物語は男性が見ても全く面白くもなんともなく、むしろ不愉快極まりないか、ちょっと居心地の悪い気分になってそそくさと本を元の場所に戻して、それを忘れるために何かたわいない用事を探すことになるのではないだろうか。
女がいくら女は大変だ、出産は育児は大変なんだ、と実感しても、男には一生理解できないし、心の底から女をいたわることは出来ないと思う。
大変なんだと主張する女に対して、男だって大変なんだからそんなに大変大変言ってんじゃねえよ、と思う人は少なくないと思う。
そういうことを考えるとなんだか悲しい本に思えてくるわけだ。
だから、それが本当ならの話だが、帯に書いてあるように重松清が大絶賛したというなら(作者の筆力にではなくその内容に)、それは重松清がやはり器のでかいお方だなあということになるのだ。
という重松信者の意見でした。